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ワンラブ通信 第31号 |
今年は万博の参加もあり、例年より早めの2月末にガテラと2人で日本に戻ってきました。
寒い時期に日本に戻るのは久しぶり。ガテラにとっても初めてと言ってよい季節です。日本の空港に着いた日は暖かく、「2月ってこんな気温だっけ?」と思いつつ、自宅へ戻りました。しかし!その次の日、ああ、なんて寒いのでしょう!季節はまだしっかり冬でした。
去年日本に戻った時に、私は何を思ったか(と言うより、あまりにも整理整頓されていない自分の部屋を見て)、ドンドンと要らないものを捨ててしまいました。OL時代に買ったそれなりに値段の張る洋服も、厚手のセーターも「もうこんなもの要らない!」とビニール袋に突っ込んでいきました。今年ルワンダを出る時も、ギリギリまでバタバタと仕事をしていたため、日本に持って来るべき洋服もろくに選ばず、また季節のことを全く考えずにかばんに放り込みました。そして日本に着いて、自分の失敗に気がついたのでした。
寒い寒いと言って、じっとしているわけにはいきません。日本でできることを、こなさなくては。数少なくなってしまったワードローブをとっかえひっかえ、またTシャツを2枚3枚と重ね着して出かける日々。多分私より辛かったのはガテラ。どうも彼はこの日本の寒さを、爪に感じるようです。ルワンダは涼しいアフリカと言えども、日本のようにからだに突き刺さるような寒さはありません。手袋をはめたり、靴下を履いたままで寝たり…。
私たちがあまりにも「寒い」を連発するので、見かねた人たちが、手袋やマフラー、はたまた暖かい下着(つまり長袖のシャツやももしき)を分けてくれました。これは本当に嬉しかった!今までかっこ悪いと拒み続けた長袖シャツがこんなに暖かかったとは!こんな形でも、私たちは人々の優しい心に支えられていると感じたのでありました。
さて、そんなこんなで日本滞在はスタートしましたが、3月上旬万博の準備のために、会場を訪れました。ひとけ人気のない会場はシーンとして、空気もひときわ冷たかった。その中でワンラブの助っ人たち数人と飾りつけ。しかし寒い。まぁ、開催前だし、人もいないから暖房も入れていないのだろう、今日は作業が終わったら暖かいラーメンでも食べよう、そんな風に思っていました。
3月25日の一般公開の前に、地元の人などを呼んでのプレオープンがありました。私は参加できなかったため、愛知方面の助っ人に代わりに行ってもらいました。そして彼女から電話。「会場、暖房入らないんだって…」「うっっ」そうなのです、万博のメインは暖かい季節、暖房設備はつけていないとの事…。しかしまだ寒い。どうしたらいいんだ…。
不安のままに迎えた25日。開場前、スタンバイをしている私たちに万博協会の人が言う。「今日からいよいよ万博が始まります。たくさんの人が来てくれるよう、がんばりましょう!このように会場は寒いですが、お客様をお迎えする私たちが上着を着ているのはよろしくありません。なるべく上着を脱いで対応するようにお願いします。」
そして開場。少しずつお客さんが入ってくる。しかし寒い。あれ、あそこにいるのは万博協会の人ではないか。しかし上着を着ているぞ。おや、首にはマフラーも巻いている。最初は我慢していた私たちも、寒さには勝てず、ついには上着を着てしまいました。
そして次の日は、腰とお腹、首と肩にカイロを貼り付け、戦場に向かったのでありました。
幸い、その後日本列島は順調に春に向かい、危機を乗り越えることができました。めでたし。
さてその愛・地球博、持ち込み弁当の問題とか(これは解決)、人気パビリオンは行列で見ることができないなど、いろいろな問題はあるようですが、無事に終わりますよう、祈る私たちです。
この市民パビリオンでは、たくさんの市民活動が紹介されています。何でも、市民活動を紹介するのは、過去何度もあった万博の中でも、今回が初めてとか。展示のプロが行うわけではないので、未熟な点もたくさんありますが、それぞれのブースに人の心を感じることができます。また横のつながりも作ることができそうです。
ワンラブは9月25日までの6ヶ月間、ここに展示をしています。活動の様子を写したパネル、ルワンダで作った義足、ルワンダの民芸品などを紹介しています。
報告会のときなどに、ルワンダでの写真などを見せたりしていますが、実際に作った義足を見てもらうのは、今回が初めて。まだまだ改善すべきところの多い義足ですが、ルワンダの義肢装具士たちと心を込めて作った義足です。日本の皆さまにも、ぜひ見ていただきたいと思います。
5月2〜8日のゴールデンウィーク中と、7月11〜17日は同会場で「地球の授業」と題し、1日3回、活動やルワンダの復興などについて、ガテラと私がお話をさせていただきます。
また6月10日は長久手会場にて「ルワンダデー」と称し、ルワンダから踊り子たちを呼び、伝統舞踊を披露する予定です。激しい踊りの多いアフリカにおいて、ルワンダの踊りは一風違い、特に女性の美しさを強調した踊りは一見の価値があります。また戦いの前に踊ったと言う踊りは力強く、何度見ても惚れ惚れ。
皆さま、ぜひ一度愛・地球博にいらしてください。そしてワンラブのブースを訪れてみてください。もちろんアフリカ館の中にあるルワンダのブースもお忘れなく。ルワンダの人たちがお迎えしてくれます。
気持ちの良い季節となりました。たくさんの方々のご来場をお待ちしております。
]]>日本での生活はどうだったのでしょう?ルワンダから日本へ戻ってきた私たちは、早速電話をしてみました。ルワンダ語を話すことに飢えていたのでしょうか?ガテラとの話は延々と続きます。そして数日後、セザールに会いました。まず思ったのは、あぁ研修に来てくれてよかったと言うこと。
彼の口から出てくるのは、ほとんど義足作りとこれからのワンラブの運営の仕方についてでした。
彼が研修をしたのは、私も教えていただいた横浜にある平井義肢製作所。親方は厳しい人だったので、セザールとうまくやっていけるかどうか、それが心配の種でした。
しかし案ずるより生むが易し。思った以上に良いコンビだったようです。また親方のところに行ったからこそ気づいたこともたくさんあったようです。ルワンダではまだ使ったことのない技術や機械のこと、材料の使い方にとてもこだわる親方、自分たちがルワンダでいかに材料を無駄に使っていたか、またけじめをきっちりとつける親方、仕事の前と後にはきちんと道具を手入れし、掃除をするということ…などなど。
彼の口からそれら勉強してきたことを聞いた時は、私自身の未熟さを感じると共に、とても嬉しかった。何故ならば、ずっとそれらのことを伝えたかったから。だけど私にはそれを伝えきることができず、ただ単に彼らを毎日怒鳴っていただけのような気がします。人に何かを教えるのは難しい。ヒステリックに言うだけでは、決して伝わらないと言うことを、改めて勉強しました。
全く日本語を話せなかったセザールが、一生懸命日本語を駆使してコミュニケーションをとろうとしている。日本で日本語を使うセザールと会うのは、なんとなく照れくさいような、変な感じだったけれども、今回の研修は全ての人にとって、とてもよい経験になったように思えます。
セザールの研修中に、抜き打ちで平井義肢を訪ねました。驚かそうと思ったのですが、残念ながらその日彼は、何とお風呂で転んで足を怪我してお休み。その分、私はたくさん親方と話をすることができました。コミュニケーションがうまくとれず、大変だっただろうと思うものの、親方はセザールのことを、とてもほめてくれました。「あいつは頭がいい。一度で覚えちゃうんだ。」そう言っていました。なんだか、2人が一緒に仕事をしているところを、隠しカメラか何かを使って、覗いてみたかったな。
そしてまた後日、今度はセザールがいる時に訪問しました。自分が覚えた技術を誇らしげに私たちに見せてくれたセザール。そしてルワンダにまだない機械を説明してくれます。親方もいかにお金をかけず、技術を上げていくかアドバイスをしてくれました。今まで気づかずに捨ててしまっていた材料も、今は大切に拾って袋に入れ、ルワンダに持って帰るようです。そして日本の技術を駆使して作った、自分の義足も手に入れたようです。そうそう、会って真っ先にしたのが、自分のズボンを捲り上げ、義足を見せてくれたことでした。「これは俺が作ったんだ」と。
全ての研修が終わり、神奈川県庁で修了証書の授与式がありました。その時初めて見た、セザールのスーツ姿。う〜ん、何か今私は母親のような気持ちになっている。と言うことは、ガテラは父親の気持ちになっているのであろうか?よくやった、おめでとう。
今回の滞在でたくさんの人たちとも知り合ったし、日本のいろいろなところも見てきたようです。浅草・箱根・日光・京都など。もう少しゆっくりできたら、温泉にも行きたかったな。しかし鉄は熱いうちに打て。彼の心はいろいろなことに刺激されて、今熱くなっています。ルワンダに戻ったら、やってみたいことがたくさんあるようです。セザールが義足を作り始めて5年目。中堅どころにさしかかりました。どんなプロジェクトを進めるにもリーダーとなる存在が必要です。ガテラと私が引退した後、ワンラブを引っ張っていってくれる、そんな存在になってくれることを期待しています。
今度の研修では、神奈川県国際課の人たちには本当にお世話になりました。そしてセザールをしごいてくれた親方や平井義肢の人たち、寝泊りをしていた研修センターで身の回りの世話をしてくれたスタッフの方たち、また彼の滞在を快適にしてくれたもろもろのワンラブ・ファミリーの人たちに感謝いたします。そしてこの通信を読みながら、セザールを応援してくれていた皆さま。どうもありがとうございました。「日本に来て、良かった。勉強ができて良かった。このチャンスを作ってくれた人たちにお礼を言いたい。」そう言ってセザールはルワンダへ帰っていきました。
ルワンダに着いたセザールから電話。ガテラと何か相談しあっている。どうも日本で生活をしてしまった彼から見ると、ルワンダの人たちがサボっているように見えるらしい。誰それがいつも遅刻してくるから給料をカットするとか、要するに今まで私が目を光らせていた部分をチェックし始めた。彼は私たち2人が日本に来てしまっているので、ルワンダで引っ張っていくのは自分だと思っているようである。そのとおり。留守中はあなたがワンラブを守っていてください。彼にドンドン期待をかける私です。
]]>ここまでの道のりは長かった。途中で資金がなくなり、建設を中断。そのために中途のたてものに傷みが出てしまったり、資金作りのために支援をお願いしたり…。
たてものは教室二つと多目的ホール、事務室などからなります。ここでは障害者に対する職業訓練を行ったり、日本語やルワンダ語・スワヒリ語を習いたい人たちに教室を開いたりしたいと思っています。計画を進めている途中ですが、職業訓練については、なるべく早く覚えられ、それが即収入につながるようなこと、そして言葉の教室については、私がその昔ケニアのナイロビでスワヒリ語を勉強したような、そんな場所を作りたいと思います。言葉だけではなく、アフリカそしてルワンダの文化を知ってもらい、日本と交流ができたら。日本にとってルワンダは、そしてルワンダにとっても日本は遠い国。もっともっとお互いを伝え合いたい。またホールでは、いろいろな催しもすることができるでしょう。会議・結婚式・障害者のスポーツ大会、そんなこともできると思います。
建設にはたくさんの人たちがかかわってくれました。基本的には毎日朝8時から夜5時まで。でも5時に終わったためしがありません。いつも暗くなってしまいました。直射日光の下、上半身裸になりながら、セメントをこねたり、重い石を頭の上に乗せ、走り回っていました。職人の下で働くのは、まだ二十歳前後の青年たちです。
彼らの多くは、それまで町で物乞いをしていた少年です。1994年の虐殺が終わってから、すでに11年。その当時親を殺されてしまった子供、また親が虐殺に関与し、刑務所に入ってしまっている子供たち。彼らは頼る場所もなく、自分の力で生きていかなくてはいけません。まだ町の中心に青空市場があった頃、彼らは買い物に来る人たちの荷物を運んだり、お店の手伝いをして生活費を稼いでいました。また彼らの中には、人のものを盗んで生きてきた子供たちも少なくありません。お店とお店の狭い隙間に、ダンボールを敷いて眠る彼ら。生きていくと言うことは容易ではありません。
そんな彼らに目をつけたのはガテラです。町でサバイバルを重ねる彼らのことをいつも気にしていました。彼らは決して今の生活を良しと思っているわけではない。彼らだって生活を改善し、自分が必要とされていると言うことを実感したいはずだ。その手段を自分たちで提供できないものか、彼らを見かけるたびに私に話しかけます。
そして思いついたのが、建築の手伝いをしてもらうと言うこと。彼らの賃金は決して十分なものではありません。でも一生懸命手伝ってくれます。まだ大人になりきっていない細いからだで、スコップを握り締め、せっせと働きます。ワンラブランドが今のようになれたのは、彼らがいたおかげです。一番辛い仕事を、埃だらけ、泥だらけ、雨の時はずぶぬれになりながら働いています。そして時にはお昼抜きで働いたりしています。
その少年たちと働いていると、人さまざまだと言うことに気がつきます。もらった給料で一気にビールを飲んでしまう子(本当は未成年)、町に行っておしゃれな服を買ってくる子、遠く離れた家族にそのお金を持っていく子。それから仕事に対する姿勢も見えてきて面白い。給料をもらったとたん、仕事に来なくなる子もいます。特にもらった次の日は、二日酔いで遅刻してきたり。しかしこれは厳重に注意!それから黙々と仕事をする子。おしゃべりばかりしてサボることに命をかけているような子。リーダーシップを発揮する子もいます。そういう子は、普段仕事をしていても、なんとなく目立つ。そして実力を発揮してくる子は、だんだんと給料も上げていく。そうするとますます一生懸命働く。人間はやはり認められると嬉しい。彼らの素直な反応を見ていると、こちらまでがんばろうと言う気持ちになります。
そんな少年たちの汗と涙が混じっているこの学校。障害者の自立のために役立つ技術を教えていきたいと思います。そしてそれを建設するためにがんばってくれた彼らも、これからも何らかの形でワンラブにかかわっていってほしいと思います。
義足を履いた障害者。本当の自立はこれからです。皆さまも一緒にプロジェクトを考えてください。よろしくお願いします。
]]>場所は茅ヶ崎。自分が生まれ育った町が一番動きやすく、駅から5分ほどのところが見つかりました。
そこは事務所にするのと同時に、店舗も構え、今回アフリカン・グッズを持って来たので、それらを販売し、活動の資金の一部としていきたいと思います。マスクや彫刻、小物、ルワンダコーヒー・紅茶などがあります。次回のワンラブ通信では、それらの準備も整い、きちんとしたお知らせを載せることができることでしょう。
また事務所を構えることにより、日本での仕事を手伝ってくださるボランティアも探しています。書類や名簿の整理を手伝ってくれる人、お店番をしてくれる人、また報告会やいろいろな企画を一緒に考えてくれる人、いらっしゃいましたらワンラブまでご連絡ください。よろしくお願いします。
]]>例年行っている活動報告会は、ゴールデンウィーク明けから、計画を立てる予定です。今年は愛・地球博の参加もあり、会期中、できれば今年いっぱいくらいは日本に滞在したいと思っております。報告会の予定につきましては、決まり次第通信またはホームページで皆さまにお知らせする予定です。
今年の滞在は長めということもあり、精力的に活動を伝えるために動いていこうと思います。ワンラブやルワンダの話をさせていただける場所(学校や団体など)を探しております。ぜひお声をかけてくださいませ。
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