2004年12月発行
Preface
皆さま、ごめんなさい!通信の発行がすっかり遅れてしまいました!
目の前には書類の山。からだが二つほしい。ひとつはとにかく動き回るからだ、もうひとつはじっくりと考えるからだ。そうなればどんなに仕事がはかどるだろうに…。
しかし現実は甘くない。今日も罵声を飛ばしながら車のハンドルを握る。ああ、また今日も怒鳴ってしまった…。反省はするものの、明日の朝にはそんなこともすっかり忘れ、また頭に湯気を立てている私の姿が目に浮かぶ。
地雷をなくそう!世界子どもサミット
8月、滋賀県新旭町で地雷をなくすための会議が行われました。主人公は世界11カ国の子供たち。
この話は、以前から支援をいただいていた京都の聖母学院小学校の職員から聞くことから始まった。この学校は先生・生徒が一体となって地雷撲滅のための活動を行い、また地雷の被害にあった人たちを支援するために、足掛け8年ワンラブを支援してくれている。さらに新旭町という町は1999年から地雷撲滅のための、さまざまな試みを行ってきた。2003年には小泉首相を招き、日本に残された最後の地雷を処理するという、非常に意味のある行動が行われた。それと同時に日本の子どもたちを中心に、地雷撲滅会議が開かれた。この試みを日本の子どもたちだけでなく、世界に広げていこうと計画を立てられたのが、この「地雷をなくそう!世界こどもサミット」である。
日本の小中高生を中心に、アフガニスタン・アンゴラ・カンボジア・カナダ・ジブチ・フランス・ラオス・ネパール・ルワンダ・ウガンダの18人の子どもたちと引率者が参加した。
この話をいただいてから、早速ルワンダの学校を訪ねまわった。ルワンダは確かに地雷の被害国である。でも実際に地雷に対する教育がなされているかというと、そんなことはほとんど聞かない。何年か前、国内でキャンペーンがあり、ラジオで「不審なものを見つけたら、触らないように」ということをドラマ風に仕上げて流していたが、その程度である。地雷の被害に悩んでいる国とは、そんなものなのではないだろうか。果たして学校の先生たちも、この話にどれくらい乗ってくるか疑問である。しかし先生たちは非常に熱心に話を聞いてくれ、こちらが多くを語らないうちに「生徒たちに地雷についてレポートを書かせ、その中から優れた生徒を選びましょう」と言ってくれた。その結果、二つの学校から、一人ずつの女の子が選ばれた。名前はローズマリーとシャーロット。彼女たちも突然飛び込んできたこの話に驚いて
いる。
子ども二人と一緒に、私とガテラも何とか参加したい。でも主催者側の用意できるのは、子ども二人と引率一人分の航空券。聖母学院小学校では、早速募金活動が行われた。いつも驚いてしまうのは、子どもたちの行動の早さ。私たちの心配をよそに、無事に募金が集まった。
あとは参加に向けてまっしぐら。ローズマリーとシャーロットは自分たちで地雷について資料を集め、レポートをまとめる。会議では自分たちの発表の時間が20分与えられている。さっきも書いたとおり、ルワンダは地雷の被害国。でもそれに対する国民の知識はほとんどない。資料を集めたくても、情報がとても少ない。国内の地雷撤去組織を訪ねたり、インターネットで調べたり、ワンラブに情報を集めに来たり…。
出発も間近に迫った頃、ワンラブではこの試みをみんなに伝えようと、学校の子どもたち・教育省・マスコミに義肢製作所を一日開放した。そしてもう一つ、彼女たちが当日の発表のときにびびってしまわないように、みんなの前でスピーチをさせようと作戦を練った。
義肢製作所を訪れた子どもたちは、作業の様子、義足を見ながら、後から後から質問をする。「足がなくなっちゃった人はどうやって生活するの?」「地雷を踏んだとき、近くに誰もいなかったら、その人はどうなるの?」「ルワンダにもまだ地雷はあるの?」「義足はどうやって作るの?」などなど。疑問に思っても、大人のように心にその疑問を隠してしまわないで素直に聞いてくる。彼らの熱心な眼差しに、明るいものを見た気がする。
さて、出発である。多分シャーロットは初めての飛行機。興奮している様子がかわいらしい。途中ケニアでビザをもらうために一泊(ルワンダには日本大使館がないため、ケニアの日本大使館で発行してもらう)、そして地球の果ての日本へ(ガテラはいつも日本のことを地球の果てと言う)。ドバイを経て、関西空港へ。実行委員会の人が空港に迎えに来てくれている。そしてそのまま関空近くのホテルへ。これがまた眼下に海が見える高層ビル。子供たちははるかかなたの地上を見つめる。疲れていることもあり、その日はちょっと奮発してホテルにある食べ放題のビアホールへ(但し子供たちはソフトドリンク)。しかし日本は食べ物が高いですな。和洋中の料理を前に、お皿に取ろうか取るまいか悩む彼女たち。どうも日本食は今一つの感触。食べ放題だというのに元が取れなかったと悔しがる私。
次の日は、新旭町へ移動。途中のパーキングエリアで自動販売機に挑戦(ルワンダには自動販売機はありません)。回りの人が買っている様子を見て、無事にドリンクゲット。子どもはあれこれうるさいことを言わなくても自然と学ぶということを実感。バスには各国からの参加者も乗っているが、まだみんな打ち解けない。
午後は新旭町の町長さんのご挨拶を聞いた後、地雷処理場を訪問。山奥の洞窟のような所。そしてホームステイ。私たちを受け入れてくださったのは、5歳の男の子と8ヶ月の女の子を持つ山元さんファミリー。空手が縁でめぐり合った二人とか。やはり初めての人の家で眠るというのはそれなりに緊張する。でもとても気を使ってくださった。ローズマリーもシャーロットも長旅の疲れでぐっすり。
翌日は新旭町めぐり。ここはやはり田舎という言葉がしっくりくるところだと思う。駅前には何もなく、人の往来もまばら。でも良い所だった。町を案内され、川の水で冷やされた「まくわ」をいただき、みんなとお餅つきをし、子どもたちは川に発泡スチロールで作った舟を浮かべ流されていく。町の人が葦で作った笛とハーモニカを使い、私たちを歓迎してくれた。そしてそこで聞いたのは「ふるさと」。日本を離れ、異国の地で生活をしていると、やはりそれなりにつらいこともある。そんな時、私は「ふるさと」の曲を思い出し、口ずさむ。ハーモニカで奏でられたそれを聞いたとき、いろいろな思いが頭に浮かび、泣けてきた。演奏が終わり、その曲を吹いてくれたお母さんにお礼を言わずにはいられなかった。
午後は大津市に出て、街頭キャンペーンを行う。大型スーパーの入り口にたち、募金箱を片手に寄付を呼びかける。
3日目、ついに会議が始まった。ローズマリー・シャーロットはルワンダの衣装を着て参加する。午後からは各国の発表。ルワンダの二人は明日の午後。みんなの発表を聞いて、何を思ったか。会議の後は、近くの学校の体育館で歓迎パーティー。屋台料理やら、何やら。しかしどうもルワンダの二人は日本料理が口に合わないようである。国の紹介があり、二人は民族衣装を着て、ルワンダの伝統的な踊りを披露。女性の柔らかさが出ているこの踊りは、私も大好きである。体育館には太鼓のやぐらが組まれており、いつのまにか体育館は盆踊りを踊る大きな輪ができあがっていた。その中には新旭町の町長さんも混じってた。ルワンダでは役職についた人は、こんなに気さくに市民の中に入っていかない。ガテラはびっくり。夜は琵琶湖の近くの施設へ移動。ドミトリーでみんな雑魚寝のようである。しかし私とガテラには、気を使ってくださり、ドミトリーを二人で使わせてくれた。ありがとう。それにしても部屋の外では、まだ子どもたちが騒いでいる。元気だなあ。
4日目、ルワンダの発表である。この会議は子どもが主体ということなので、私たちもほとんど口出しをしなかった。壇上に立ち、まず驚いたのは、その堂々とした姿。ルワンダの地理の紹介から、虐殺を含めた過去の出来事、埋められた地雷や被害者の数、そして彼らの生活状況などがきちんと順を追って組み立てられていた。そして書かれたレポートを棒読みするのではなく、自分たちの言葉で、みんなの顔を見ながら話を進めていた。そしてスピーチの途中、突然彼女たちの口からガテラと私の名前が呼ばれた。「ワンラブの活動があったからこそ、ルワンダの障害者たちの生活は改善された」という一言と共に、会場に来ている人たちに私たち二人を紹介してくれた。立ち上がって会釈をするガテラと私。正直に言って、こんなふうに紹介をしてもらうなどと思っていなかったので、驚いた。でもとてもとても嬉しかった。ルワンダでは会議があると、そこに参加している要人を必ずみんなに紹介する。彼女たちはそれをしてくれた。私たちに尊敬の念を持って。この時「やってきたことは無駄じゃなかったんだなあ」と思った。
二人の発表は、他のどの国の発表よりも優れていたと思う。内輪誉めと言われそうだが、内容にきちんと起承転結があり、またその立ち振る舞いや間の置き方など、大人でも大勢の人間を前にして、あれだけ堂々とすることは難しいだろう。本当にあっぱれであった。
カナダから参加した少女は、小学生の頃から地雷撲滅のためのチャリティーなどを行っていたという。でも実際に地雷の被害に合い、足をなくしてしまった人を前に、スピーチの途中で涙を流していた。人が受けたつらい出来事に対して泣く、そして自分の無力さを感じて泣く。その自然な涙に、私も思わず涙が出た。
その後はグループディスカッション。地雷についての考えをまとめ、今後の活動にどうつなげていくかを話し合った。地雷の被害がいまだ続いている国、地雷を提供する側にある国、地雷被害者ための支援を必要としている国、そして支援をする力を持っている国。子供たちはそれぞれの意見を言い合った。
会議最終日も子供たちの話し合いは続く。結論はなかなか出ない。いや、もしかしたら出なくても良いのかもしれない。大切なのは、世界の人たちがこのテーマについて話し合うということなのかもしれない。そしてその主役は、明日を生きていく子供たち。カナダの女の子は言った。「世の中の政治家はいつも偉そうにしている。でも私たちのほうがずっとすごい。だって私たちは彼らよりもたくさん生きることができるから。」この言葉の中に、彼らの強さを見たような気がします。
そして閉会式。これからの行動に対する宣言文を読み、みんなで合唱をした。この会議最終日には、私とガテラも時間を少しいただき、子供たちにメッセージを送った。
閉会式が終わると、もう既に仲良くなってしまった子供たちは別れるのが惜しく、涙の嵐。日本の子供たちはウェットなのかな。もちろん各国の子供たちも別れが名残惜しいのだろうけど、う〜ん、比較的ドライ。
そして今日はホームステイの最終日でもある。ローズマリーとシャーロットが日本食がどうも…という状態だったので、かなり気を使わせてしまった。でもとても良い家庭にお世話になれたと思う。5歳の男の子とも友達になれたし、8ヶ月の赤ちゃんを抱いたガテラの姿は誰が見ても微笑ましかった。そしてご夫婦。ゆっくり話すことができなかったけど、今日は少し遅い時間までルワンダのこと、ワンラブのこと、そしてご夫婦の話をした。本当にお世話になりました。今からお金を貯めて、いつか子どもを連れてルワンダに、と言ってくれました。待っていますね。
次の日はお別れの挨拶と、記念の植樹をしてから比叡山と京都観光へ。もうみんな会議が終わったのでリラックス。時間が押してしまい、竜安寺(だったっけ?)に着いた時はみんなおなかぺこぺこ。ここで湯豆腐。しかしこの選択はちょっと失敗。外国からの子供たちはやはり湯豆腐は苦手のようであったし、食べ盛りの日本の子供たちに湯豆腐は物足りないのでは?実は私もちょっと物足りなかった。それから清水寺。ここで突然の大雨。足が悪いガテラは階段が大変なため、雨宿り。
そして京都駅に行き、日本の子供たちとはここでお別れ。また涙。みんなはこのまま大阪のホテルに行き、明日それぞれの国へと帰っていく。私たちはわがままを言って、少し残り、京都の聖母学院小学校のみんなとの出会いをアレンジしてもらった。
そして日にちを変えて、楽しみにしていた聖母のみんなとの出会い。夏休み中であったにもかかわらず、無理やり登校日にして、生徒を出席させてしまった校長先生もすごい!子供たちから質問され、それに答えるルワンダの二人。花束をもらったり、サイン攻めにあったり。私はずっと前から、日本の子供たちとルワンダの子供たちを出会いさせたいと思っていた。そしてそれがやっと実現した。この機会を作ってくださった学校の方々に感謝いたします。
今回ルワンダの少女二人を日本に連れて行くという、初めての試みを行った。そしてそれは直すべき点もたくさんあったかもしれないけれど、大切な時間として私たちの心の中に残っていくことだろう。何よりも目的を一つとした人たちとの出会い。違う国で生活をしているけれど、こうやって話し合えば理解しあうことができるという実感。今回の旅で、ガテラと私は脇役だった。でもそれでいい。それが私たちの望んできたことだと。使い古された言葉だけど、やはり未来は子供たちのためにある。
今回の旅でお世話になった全ての人々に感謝します。準備には相当な時間がかかったことと思います。ご苦労様でした。たくさんの人を思い出しますが、新旭町の町長さん、役場の皆さん、「ふるさと」を聞かせてくれたお母さん、押し花で作った絵本をくださったおばあちゃん、ホームステイの山元ファミリー、聖母学院小学校のみんな、そして主役であった日本と世界の子供たち、本当にどうもありがとうございました。また遠路はるばる私とガテラ、そしてローズマリーとシャーロットに会いに来てくれたお父さん、ありがとう。
しっかり勉強するのだぞ
その会議と時期を同じくして、ワンラブの義肢製作所で働いているルワガサナ・セザールが義肢製作技術を習得するために来日しました。約7ヶ月間の滞在です
その勉強をする先は、ガテラが初めて来日したときに装具を作ってもらった横浜にある義肢製作所。つまり私が修行をさせてもらったところです。
思えばこの場所からワンラブは始まりました。ガテラが来日し、装具が壊れてしまい、それを作り直すために探して、たどり着いたのがここ。
そこでガテラがギプス包帯で型を取られているときに、お互いの心に浮かぶものが。それは「この技術をルワンダに伝えたい」と言うことでした。その日をきっかけにワンラブは始まったといっても嘘ではないと思います。ガテラは装具を作り終え、アフリカに帰りました。私に残されたのは、この義肢製作所に弟子入りを申し込むこと。
親方は快く迎えてくれました。初めての仕事に戸惑いがなかったと言えば嘘になります。でもOLをしていたときよりも、ずっと早く一日は過ぎ、疲労も心地よかった。
そこでセザールが今、研修をしています。今回の研修は神奈川県が計画を立てそれにセザールが選ばれました。
ずっと前から、誰かを日本で勉強させたいと思っていました。日本の技術を見て、ルワンダの未熟さを知った上で、勉強したことを伝えることのできるルワンダ人を、育てたかったのです。
セザールは何人かいる義肢装具士の中で、一番光っていました。男の癖におしゃべりが多く、時には「うるさい!!」と怒鳴ってしまうけれども、人一倍向上心が強く、いつも新しいことを試すのは彼でした。そんな彼に、日本で勉強するチャンスがないかと探し続けていました。
そして勝ち取ったこのチャンス。
横浜の親方のところは、結構厳しいです。そして親方は職人です。私はここで徒弟制度のすばらしさを知りました。そしてその制度をルワンダに持っていきたいと思っていました。
まず親方は絶対であること。もちろん親方も人間であり、絶対ということはありえないのだけど、私にとってその頃親方の言うことが全てでした。
果たしてルワンダ人であるセザールが、それら複雑な、あるいは日本的な部分を理解できるかどうか。でも一つでも多くのことを学んで、ルワンダにもって帰ってきてほしいと思います。非常に熱血漢でもある彼は、それができると信じています。
さて、その研修員の寮となる場所には、去年から今年にかけてボランティアとして手伝ってくれていた女性が待ち構えていました。だから私も安心して、彼を送り出すことができたのです。
またルワンダを訪れたことのある人たちが、セザールの来日を待っていました。セザールは決して一人ぼっちではありません。こうやって考えると、ワンラブ・ファミリーが増えてきたなあ。
そしてこれは私事ですが、セザールの研修が決まったことをきっかけに、親方にご挨拶に行く決心がやっとつきました。実は親方のもとを離れてから8年間、連絡を取ることができませんでした。それは自分に自信がなかったから。親方に胸を張って、挨拶をする勇気がなかったから。でもこうなるともう逃げてはいられません。
8年ぶりに会った親方は、昔よりも優しかった。親方の顔を見て、胸がつまってしまいました。言葉が出てこない。ただ、挨拶に来れなかった自分が情けなくて、涙が出てきました。そんな私を親方は再び快く迎え入れてくれました。そしてそこを辞めてしまった今でも、ルワンダで役に立つであろう技術を、その場で教えてくれました。親方、本当にどうもありがとうございます。私は本当にたくさんのことを親方に教えていただきました。その中で一番心に残っているのが「けじめをつけること」。これを毎日思いながらルワンダで生活しています。来年、できればセザールがまだ研修をしているときに、ガテラと二人でご挨拶に行きたいと思います。その時まで、セザールをビシバシしごいてくださいね。
誰か助けてくれ〜!
毎日事務所に行くと、いやがおうにも目に入ってくる書類の山。そしてたまっていく仕事。
と言うことで、最近いつも書いていますが、ボランティア募集。どなたかいらっしゃらないでしょうか?
お願いしたいことは、もろもろの雑用と、障害者支援資金を作っていくためのレストラン運営と管理。
もろもろの雑用とは、文字通りもろもろ。例えば、銀行に行ったり、電気・水道料金を払いに行ったり、パソコンのインプット、猫に餌をあげたり、スタッフの苦情を聞いたり…。レストランの運営と管理は、売上をチェックしたり、食材の買出しに行ったり、スタッフがいかに売上をごまかそうとしているかに目を光らせたり、遅刻をするスタッフに「もう明日から来ないで良い」と脅しをかけたり…。
私も一人でこなしていくことに限界を感じてきました。最近はいつも頭の中で複数のことを考えながら仕事をしているので、ミスも多い。
来年は3月から愛知万博に参加するため、ルワンダを留守にする時間も多くなってしまいます。ボランティアを考えていらっしゃる人がいましたら、ぜひご一報を。
ご連絡は:(ルダシングワ真美)
買い物バッグは持参のこと
日本でもそうですが、最近はルワンダでもやっと環境問題に取り組み始めています。
この間は「ごみ袋を拾いましょうディ」がありました。買い物をすると、黒いビニール袋に入れてくれます。そのビニール袋禁止令が突然出されました。それらのビニール袋が環境汚染を招くということで、とにかくその日は落ちているビニール袋を拾いなさいねというラジオ放送。
ルワンダのような小さい国になると、何か一つのことが決まると、それが一気に国中に伝わる。多分その日はあそこでもここでも、みんなでごみ袋を拾っていたのではないだろうか?それにしてはまだたくさん、落ちてるけど。
そんなことがあって、買い物をするときにもビニール袋に入れてくれなくなった。つまり買い物バッグは自分で持ってきなさいねということ。
でも私はついうっかりして忘れてしまう。そんなときは、どこの世界でもしっかりしている。レジの前にトートバッグのようなビニールカバンが下げられている。
そんなわけで、今ルワンダでは同じようなデザインのビニールカバンがあちこちで出回っている。それにしてももう少し気のきいたデザインのカバンはないのかね。
メール配信のお知らせ
大変お待たせいたしましたが、ワンラブ通信のメールマガジンを開始いたします。これまで振込用紙にアドレスを書いていただいた方には大変申し訳ありませんが、間違い回避のためにWebからの登録を御願いいたします。
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登録ご希望の方は、以下にアクセスしてください!
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書き損じハガキの募集
ワンラブプロジェクトの茅ケ崎事務所では、みなさんの書き損じたハガキを募集しております。年賀状のこの季節、書き損じてしまったはがきがございましたら、下記までご送付ください。皆さまへのワンラブ通信発送の際の切手通信代に役立てたいと思います。
セザール氏へのインタビュー
1年間ルワンダのワンラブランドで、ボランティアをした前田理恵子さんが、来日中のセザール氏にインタビューをしてくれました。
日本で義足の研修をしているルワガサナ・セザール氏に、来日してから約3か月半経った今、日本での生活や今後のことなど、今何を感じ考えているのかインタビューしてみました。

- 来日を知らされたとき、どのように感じましたか?
- とても幸せでした。
- どうしてですか?
- 他の新しい、発展した技術を身につけることは、私の仕事にとってとても有効なことだからです。
- 日本に初めて来たとき、どのように感じましたか?
- 私は私です。どこにいても変わりません。
- 日本についてはどうでしたか?
- 最初の頃、私には難しかったです。
- どんなところが難しかったのですか?
- 私は日本を知らないので、例えば、買い物をするとき高い物を買ってしまっていました。今はもうどこで何が安いのか知っているので大丈夫です。
- では3か月半経った今、日本のことをどう思いますか?日本の良いと思うところや悪いと思うところなどを教えて下さい。
- 日本人はとてもせわしないと思います。いつも急いでいます。そこがルワンダとは違います。日本人は人に会う時間がありません。例えば、ルワンダでは仕事が終わったらバーへ行って話したり飲んだりしますが、日本人は仕事が終わるとすぐ家に帰ります。それは家でも仕事(料理や洗濯など)があるからだと思いますが、ルワンダではほとんどの家は家の事をする人を雇っています。
日本の良いところは、仕事をしなければ給料をもらえないので、自分で稼ぐしかないということです。ルワンダでは仕事をしなくても、家族や他人にお金をねだって生活する人もいますから、日本のようにそれぞれが自立して自分の生活を営んでいくというのは良いと思います。
- 研修についてお聞きします。
- 良好です。
- ルワンダと日本の技術はどうですか?
- 全然違います。義足を作るための機械がとても異なります。また、ルワンダの技術は古いので、ルワンダで行っているやり方を日本では違う方法で行います。
- どんな技術をルワンダに持ち帰りたいですか?
- 学んだことはすべて持ち帰って、ルワンダの義肢製作技術を新しくしたいです。私は、日本で自分の義足を作ってもらったのですが、とても調子が良いです。ルワンダのものも良いのですが、日本製の義足はとても良いです。
- ルワンダに機械は無いと思いますが・・・
- 機械はありませんが、日本で使っているものと同じような作用をする機械を自分で作って、それを使えればと思います。
- 日本での生活も残り3か月程ですが、その間にやりたいことはなんですか?
- もちろん、義足の勉強です。自分の義足を、日本の技術で作りたいです。
- では、ルワンダに帰ったらまず何をしたいですか?
- 1週間くらい家族や友達に挨拶をして、その後ルワンダでの仕事に戻れたら、と思っています。
- 最後に、何かメッセージはありますか?
- 日本が、私に日本で勉強する機会を与えてくれて、私はとても幸せです。とても良い経験になると思います。そしてそれは私だけではなく、私が学んだ新しい技術をルワンダで他の技術者に教えることで、彼らもまたとても喜ぶことでしょう。どうもありがとうございます。
- ありがとうございました。
1日のタイムスケジュール

休みの日は、買い物をしたり、洗濯をするそうです。
2004年12月発行
私もひとこと! 前田理恵子
ワンラブでは今、ルワンダで色々なことを手伝ってくれる人を必要としています。「やってみたいなぁ〜、でもどんな感じか分からないし、不安だし・・・」という方のために、今年の4月までの1年間、ルワンダにいた私の話を少ししたいと思います。
私は主にレストランの方を手伝っていました。運営全般に携わるという感じで、細かい雑用や事務仕事をやったり、全体を見て統括したりもします。より想像しやすいように、私の一日の流れを紹介しましょう。
- 朝起きて掃除のおばさんにレストランの鍵を渡す。
- 20匹ちかいねこたち(現在はもう少し増えているはず)にミルクと前日のレストランの残飯をあげる。
- ついでに電気小屋へ行って、電気残量のチェック(ルワンダでは、街の電気会社で事前に電気を買って、そのレシートに書いてある数字を家のメーターのようなものに入力して初めて電気が使える。幸い買い忘れたことはなかったが、停電になるたびに不安になった)。
- その後レストランに行き、バーのビール・ジュースなどのビンの本数を数え(前日の営業にミスがなかったか売り上げと照らし合わせるため)、当日分のドリンクを倉庫から補充、空ビンの整理など。
- 真美さんと車で街へ!
(レストランの買い出し・銀行で小銭の両替・郵便私書箱のチェック・電気を買うなど諸々の雑用)
- お昼ご飯(たまに昼寝)
- 事務仕事
(その日買ったものの帳簿付け・倉庫整理・売り上げのパソコン入力など)
- 夕食(自炊)後、レストランで従業員の様子をチェック
- 閉店後、厨房スタッフから残飯をもらい、お金・帳簿・鍵などを受け取り、部屋でその日の売り上げを計算する
※ただし、ワンラブは日々進化するので、それに伴って仕事内容にも変化あり。
レストランでパーティーがあるときなどは、会場を整えたり飲み物を売ったりと、ほぼ一日それにかかりっきりになることもある。
ボランティアは無給で自分の時間と労働力を提供するものです。もちろん、自分がやりたいからやるのですが、受け入れる側にも「やってもらいたいこと」というのがあるので、自分のやりたいことだけやるというわけにはいきません。自分が必要とされているということに意義を見いだせる人、もしくはこの仕事の内容そのものに熱意を持ってやりたいという人が適任だと思います。ルワンダに行ってボランティアをするということは、ある意味、日本で給料をもらってアルバイトをするよりも責任は重いのではないでしょうか。時間とお金をかけてそこまで行くわけですし、ルワンダで他に代わりになる人なんていないんですから!だけどその分、やりがいはすごくあります。得るものも多いでしょう。
私は帰国して半年になります。大学卒業後すぐルワンダに行ったので、日本の社会を経験するのはこれが初めてですが、行く前と今の自分では少し違うと感じます。
ルワンダで、きれい事だけではすまされないということを嫌というほど思い知りました。自分が隙を見せたがために、市場で買ったばかりの高額な品物を子供に持っていかれたり、手に握っていたお金を背後から抜き取られたりもしました。でもそんな中にあっても、凛として自分の理想を掲げるルワンダ人女性がいました。なまけていてほとんど働かないのに給料だけはちゃんともらっている人が、「お金が足りない。」「俺の生活は厳しい。」と言う。その半分の給料の男の子は、朝から晩まで身を粉にして働いて、楽しそうに笑っている。自分だって貧乏なのに、自分よりも貧しい人にお金をあげている人もいた。私はルワンダで多くの人と出会いました。
ルワンダが好きか、どこが好きかと聞かれても、今の時点ではわかりません。でも、私はルワンダで生活するのは大好きです。

今、義足の勉強をするために日本にいるセザール。少し風邪を引いて職員が彼に研修を休むかと聞いたとき、彼は言いました。「ノー、俺は少しでも多くのことを勉強したいんだ。」人生はこの一度だけ。そしてそれは自分の足で歩いて作り上げていくもの。だからこそ悔いが残らないよう、ちゃんと歩んでいきたいと思う。それは、日本にいても、ルワンダにいても同じ。今自分が置かれている状況の中で、どれだけ頑張れるか、それが大事。

ボランティアは気合いと根性。最初は知らない環境へ一歩を踏み出す勇気や勢い、その後はその場所でその活動を持続させるための持久力!!なのである。
公益信託「中田厚仁記念基金」平成16年度褒賞のお知らせ
中田厚仁さんは、平成5年4月8日、カンボジアにてUNTAC(国連カンボジア暫定統治機構)のボランティアメンバーとして、総選挙実施の支援活動をしていた中、銃撃されて25歳で亡くなられました。
中田厚仁記念基金は、国際ボランティアとして平和のために尽力された中田さんを偲んで設立され、国際ボランティアの活動を促進助成することを目的としています。
このたび、ルダシングワ・真美は、“ルワンダにおいて「ムリンディ/ジャパン・ワンラブ・プロジェクト」を設立し、内戦や疾病のために手足に障害を負った人々に義肢装具の製作・提供、現地人技術者の育成、障害者スポーツの普及などを行い、更にルワンダ全土に「巡回診療」を行う等、草の根レベルの活動を通じて、多くの人々に自立と社会復帰の機会を与えてきた活動”を評価され、褒賞されました。
会員のみなさまの暖かいお力を頂きました上でのワンラブプロジェクトの活動が高く評価されたことを、大変うれしく思いますとともに、今後とも国際ボランティアとして尚一層の努力に励み、平和に貢献いたしたいと考えております。
なお、中田厚仁記念基金からいただきました褒賞金は、ワンラブプロジェクトの活動に要する資材器材の購入費、技術・技能者育成のために使わせていただきます。
本当にありがとうございました!
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